コラム:私と祖父と、鍼灸と。

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鍼灸達仁堂は、もともと、私自身のメンタルヘルスの経験より、おなじ悩みを抱えた人をサポートすべく2022年3月に神戸市東灘区で開業いたしました。

ただし、開業にいたるまでの経緯は複雑で、私(田合)の家系の問題は切っても切り離せません。

そこで、当ページ(施術者紹介)では、私が鍼灸師をめざしたきっかけとあわせて、私の人生に大きな影響をあたえた祖父についても触れさせていただきます。

目次
医師のイメージ

私の祖父、佐志達夫(1920年~2007年没)は旧東京帝国大学医学部の医局に所属する内科医でした。

(医籍登録番号116414)

太平洋戦争終了より50年※にわたり、祖父は東灘区住吉宮町で、開業医として医師の使命をまっとうします。

※阪神大震災があった1995年に廃業し、現在は院の面影もありません。

祖父の医師免許
祖父の医師免許を撮影したもの
小学生のイメージ

太平洋戦争直後の復員船における船医として「西洋医学の教科書に出てくるすべての病気を見た」という祖父。私は、そんな祖父の背中を見ながら、幼少期を過ごしました。

鍼灸の道具

いっぽうで日本では非科学的とも揶揄されやすい、鍼灸をはじめとする東洋医学(漢方)にも、医師として理解を示しており、ツムラが漢方薬を健康保険適用となったのに合わせて、特に風邪の症状に効く漢方薬を患者に処方したり、また、自身の腰痛に灸治療やビワの葉灸を受けていたようです。

院前の様子

しかし、祖父が運営する診療所に通う患者さんが、とある鍼灸院で施術を受けた後に、家で動けなくなってしまい、祖父は訪問医療後に、救急車を呼ぶ事態に。

以降、祖父の前だけでなく、佐志家および田合家のなかでは『鍼灸』の文言がタブーになりました。

幼少期からメンタルヘルス気質

西洋医学への疑問が頭をよぎる

祖父の死が大きな転機に

人生の迷いをなくすために

小学校の教室

私、田合仁は、幼少期から落ち着きがなく、お調子者な反面、敵を作りやすいタイプでした。
いま思うと、発達障害?ADHDだったのでは、と自己診断しております。

そんななか、小学4年生になると親から中学受験を勧められたことがストレスに感じていたのか、気分の上下がより激しくなっていきます。

中学時代には祖父より心臓神経症(現在の自律神経失調症)と診断を受け、高校生になってからには環境の変化で、さらに症状が悪化します。

中学~高校生のときのおもな症状

  • 感情のコントロールがしにくいい
  • 頭がのぼせ上がり勉強に集中できない
  • ため息が多くなる
  • 夜に寝て昼に起床
  • 寝起きは猛烈に頭が痛くなる

私の症状は、いまにして思えば『躁うつ病』とあわせて、起立性調節障害だったのではないか、と考えられます。

みかねた母が、祖父から東灘区住吉山手の精神科を紹介され、カウンセリングを受けました。

しかし、1997年当時、高校生に処方できる投薬治療はなく、担当医師からは「がんばれ」の一言だけ。
思ったような変化もないまま高校を卒業し、一浪を経て大阪の私立理工系大学に進学が決まりました。

その後、紆余曲折を経て京都の国立大学に編入します。

大学への通学のために、京都に引っ越してからは、躁うつにくわえて睡眠障害をふくめた自律神経失調症に苦しむことに。そのため、大学の近くにあった、左京区松ヶ崎のメンタルクリニックを受診します。

メンタルクリニックでは、

  • ドグマチール
  • リーマス
  • アモバン
  • パキシル

など様々な薬を処方していただいたものの、決定打にはならず副作用(極度の倦怠感、EDなど)は強くなるばかりでした。

その後、京都の六角で漢方薬も処方していただいたり、色々と試しましたが、寛解にはいたらず、大学生活をギリギリのところで続けることになります。

私の体に大きな変化をもたらしてくれたのは、妹が何気なく紹介してくれた『気功でした。

このページをご覧になっている方からすると、不審に思うかもしれませんが、当時の私(田合)には絶大な効果があり、頭も体もスッキリしたことを覚えています。

施術の様子

気功で体に良い変化が出たなら、同じ東洋医学の鍼灸も「自分の体質にあっているのでは?」と思い、東灘区にある近所の鍼灸院へ。

特に、後頭部の鍼の刺激により※、「両眼の周りの筋肉が、華を咲かせるように緊張が溶け」、全身の張りつめた感覚がなくなり「いままでの苦しみはいったい何だったのか?」と頭をガツンと殴られたような衝撃を受けたのはいまでも忘れられません。
※経穴:風池

薬のイメージ

鍼灸院への通院をきっかけに、過去に通院した精神科の『投薬治療=西洋医学』に憎悪を持ちはじめることに。

さらには、おなじ西洋医学の医師ともいうべき祖父に対しても不信感を募らせてしまい、自ら顔をあわせる機会を作らないようにしました。

病院のベッドのイメージ

祖父は「仁に会えない、仁に会えない」と、祖母(薬剤師)に繰り返し嘆きながら、私とまともに会えず会話もできず、2007年に逝去しました。

家系内で存在感の強かった祖父が亡くなった(※)タイミングで「パソコンと向き合うよりも人と向きあいたい」という、漠然とした考えが頭に思い浮かびます。

祖父の死をきっかけに、悩みに悩んだ結果、自身の体、家系の呪いを解き放つべく家庭内ではタブーとされた鍼灸師への道に進みます。

※2007年に老衰で逝去

一般的な西洋医学だけが『人を救う術(すべ)』とはかぎりません。

なにより、私自身の【うつサバイバー】としての経験から「同じような悩みを抱えている人をサポートできる人材として、東洋医学を理解している鍼灸師が必要と考えております。

現在は鍼灸師および機能訓練指導員(介護予防およびリハビリ職員)として活動

自宅で鍼灸院を営むなか、日中は対人支援職として介護の現場にも立ち、私自身の接遇スキルを磨いております。

また、かつては認知症がすすんだ祖母※の終末期を軟着陸させるために、医療福祉人として、介護職の職務と、祖母への介護の両立を実践しておりました。

※2022年5月1日に逝去。

日本において約300万人(※)が私と似たような苦しさを経験しているなか、鍼灸師としてサポートする立場になったうえで、私にはどうしても拭い去りたいものがあります。

それは、祖父でもある佐志達夫とのしがらみをなくすことです。

日本でメンタルヘルスに悩む方は419万人(平成29年):タップして開

419万人のうち約300万人が、以下の疾患にあてはまります。

  • 統合失調症
  • 気分[感情]障害(躁うつ病を含む)
  • 神経症性障害,ストレス関連障害及び身体表現性障害

自分の体や家系を呪い続けても、過去は変えられません。それなら、幼少期に憧れた祖父の最期の願いを叶えるべく、屋号に『達』の1文字を入れて『鍼灸達仁堂』と名付けました。

  • 祖父:佐志
  • 私:田合

もちろん、正解かどうかはわかりません。ただ、屋号のなかに祖父と私が隣り合っていることで、祖父に対する罪滅ぼしにしたいと考えております。

うつ病・自律神経失調症特化コースについて
2025年までは、うつ病もしくは各種自律神経失調症でお悩みの方を対象とした特化型の施術コースを設けておりましたが、現在は新規の募集を停止しており、既存の患者さんのケアのみに集中しています。
今後しばらくは、再開の予定もございません。

大変申し訳ありませんが、ご考慮願います。

現在は、自分自身の祖母に対する介護の経験、および介護職としての経験を活かしつつ、介護福祉士を取得してからの、介護予防的な意味での鍼灸院として転向しました。

いつかは、メンタルヘルスケア鍼灸も復帰しつつ、プラスとして介護予防・生活機能訓練鍼灸を2本柱とし、鍼灸達仁堂を拡充し、地域医療に貢献していきたいです。

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